戦後70年、「玉音放送の原盤」

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■「玉音放送」の原盤が初公開される


宮内庁は、終戦の日の昭和天皇による「玉音放送」の音声を記録したレコード盤「玉音盤」の原盤を音声とともに初めて公開することを決めました。

原盤はレコード盤で、計5枚にわけて記録され、昭和天皇の朗読は4分30秒に及ぶ。

「玉音盤」は皇室の所蔵品である「御物(ぎょぶつ)」として保管されてきましたが、このたび、専門の業者に依頼して音声の再生に成功し、音声とともに原盤を初めて公開することを決めた。


■「玉音放送」は昭和天皇が終戦を伝えたラジオ放送


玉音放送 終戦の詔勅

    こちらは今まで公開されていた「複製」のもの。


「玉音放送」は、先の戦争で連合国が日本に無条件降伏を迫ったポツダム宣言の受け入れを表明したラジオ放送

終戦前日の昭和20年8月14日に当時の宮内省庁舎で録音され、15日正午からラジオで流された。

十五日未明には、戦争の継続を主張する陸軍の若手将校らが放送を阻止するため皇居内に侵入し、庁舎を捜索して玉音盤の奪取を試みる事件も起きたが失敗。正午からの放送で、国民の多くは初めて昭和天皇の肉声を耳にした。


・原盤は「2組」存在した。その理由とは?


昭和天皇は、警戒警報が発令中の8月14日午後11時25分、軍服姿で当時の宮内省の庁舎の一室に入り、宮内大臣や侍従長らが見守るなか、NHKが用意したマイクに向かって終戦の詔書を読み上げました。

録音が終わったあと、昭和天皇は「声が低かったようだが、どうだったか」と述べ、NHKの録音班が側近を介して「数か所おことばに不明瞭な点があった」と伝えると、みずから「じゃ、もう一度やろう」と希望して2回目の録音が行われ、二組の「玉音盤」が出来上がりました。


音声が録音されたレコードは2枚組と3枚組の2セット


3枚組の方は破損が激しかったが、2枚組の方を専門家に依頼した上で再生し、デジタル録音した。


今回、宮内庁が公開するのは、実際に放送された2回目のもの

最初に収録した音声は幻となってしまった。


天皇、皇后両陛下や皇太子さま、秋篠宮さまは六月下旬に皇居・御所で音声を聞かれた。


・内容は知られていたが、今まで聞いていたのは全て「複製」だった。


現在、テレビなどで耳にする音声は複製されたもので、原盤が公開されるのは初めて


これまで知られている玉音放送は戦後の連合国軍総司令部(GHQ)の複製がもとになっているとみられ、原盤そのものは同庁が保管していた。  放送後に一時、GHQに貸し出されていた。

当時、作業に当たったNHKの職員が余分に作って自分で保管していたものが、のちにNHKに渡り、今日の放送で使われている「玉音放送」の音源として広く用いられるようになった。



・そしてもう一つ初公開される昭和天皇のおことば


昭和天皇が終戦後の46年5月23日に録音し、翌日にラジオ放送された食糧問題の重要性に関するお言葉についても、原盤と音声を初めて公表する。


玉音盤と一緒に保管されていたのが今回発見されたという。


■さらに、「聖断」が行われた防空ごうの写真も公開される。


昭和天皇のいわゆる「聖断」によって最終的に終戦が決まった「御前会議」が開かれた皇居の防空ごうについても、映像や写真を撮影して公表する。


「御文庫」(おぶんこ)と、「御文庫附属室」と呼ばれる防空ごうは、いずれも皇居の防空施設として造られました


防空壕では、45年8月14日、戦争終結を決める御前会議が開かれた。


・過去には内部を公開しているが、今回は写真のみ


防空壕は、戦後二十年の六五年八月に内部を公開しているが、安全性が確保できないとして写真などの提供にとどめるという。


宮内庁は宮内記者会が防空壕再公開を要望したのを受け、皇居内の関連施設などの公開方法を検討していた。


■戦後70年の今年を選んだ。公開は8月1日から

宮内庁の風岡長官は「歴史的な意義からしても、国民の関心からも、戦後70年の機会に公表するのにふさわしいと考えたもので、この機会に多くの方々にご覧いただければ」と話しています。

宮内庁は、これらの音声や映像、写真について、ホームページにも掲載したいと考えている。