きょうのゲストは女優の香川京子さん。現役時代には女優を演じながら常に主婦の雰囲気を絶やさなかったと紹介した。現在は女優業を退き、もっぱら「語り部」としての活動を続けている。
きょうのゲストは女優の香川京子さん。現役時代には女優を演じながら常に主婦の雰囲気を絶やさなかったと紹介した。現在は女優業を退き、もっぱら「語り部」としての活動を続けている。
香川京子のプロフィールを紹介。代表作は1953年の「ひめゆりの塔」など。黒澤明監督、小津安二郎監督、溝口健二監督ら巨匠に多く起用された。「東京物語」では故・原節子さんとも共演。
オープニング映像。
香川京子さんに「語り部」の仕事について聞く。昭和の映画の現場を知っている人が少なくなり、当時の撮影現場についての話をしていると答えた。
香川京子さんに「記憶の中で今もきらめく曲」を聞く。高校時代に混声合唱で歌った、モーツァルトの「レクイエム 涙の日」が記憶に残っていると話した。阿川佐和子は、難しい曲であり歌っている音源を逆に聴いてみたいなどと答えた。
香川京子さんに女優になったきっかけを聞く。当時の服部時計店、今でいう「和光」に就職面接を受けに行ったが、新東宝のオーディションに応募してみたところ受かってしまったと答えた。
香川京子さんは17歳で新東宝の専属女優となり、3年後に当時は珍しいフリーの女優となった。きっかけは田中絹代主演の「おかあさん」(1952年)に出た時だといい、明るく天真爛漫な役が自分に向いていると感じた、自分の演じる役を自分で選ぶ必要性を感じたなどと答えた。1年後の1953年に「五社協定」が行われ、専属女優は他者の映画に出られなくなった。当時は怖いもの知らずだったなどと答えた。
香川京子さんに、原節子さんとの出会いについて聞く。憧れの存在であり共演できたのがうれしかった、小津安二郎監督の作品では神秘的な役を演じていたが性格はとても明るかったなどと答えた。
女優として先輩から学んだことについて聞いた。監督が絶対の時代であり女優が演技について話し合うことはまずなかった、「おかあさん」の田中絹代さんなど先輩の背中を見て学ぶことが多かったと答えた。
香川京子さんに、黒澤明監督の「赤ひげ」の妖しい役について聞く。金持ちの娘で精神を病んだ患者を演じ、かんざしで加山雄三演じる主演を刺し殺そうとするシーンもあった。黒澤明監督の指導について聞くと、かんざしを振りかざした時に光るまで撮り直しとなった、本気で演じていたので間違って本当に刺したらと思い怖かったなどと答えた。
香川京子さんに名優との共演について聞く。名監督に多く使われたことから、昭和の俳優とはほぼ全員共演が実現したと答えた。
三船敏郎さんとの思い出について聞く。豪快な役柄だったが本人の性格は繊細で優しかった、スタッフが衣装を重そうに持っていると代わりに運んであげていたなどと答えた。きれい好きでも知られ現場の掃除を率先して行っており、後輩にも受け継がれ現在でも三船プロの社長が自ら玄関を掃除しているなどと紹介した。
2008年に「東南角部屋 二階の女」で共演した、西島秀俊からのメッセージを紹介。名監督全員と仕事をしていることが貴重、神話上の人物と思っていたなどと答えた。「CUT」という映画では3人の墓の前で演じたことがあり、自分は怖くなって前日に酒をあおって相談した、直接電話をかけて答えてくれたと答えた。
香川京子さんに若い俳優への助言を聞く。色々な経験をするよう助言している、遠回りに見えることでも将来にとってプラスになるなどと答えた。
同期の女優が老婆の役ばかりを演じるようになったことについて聞く。同じ演じるのであればただの老婆ではなく、設定や背景を感じさせるような演技をしたいなどと答えた。
香川京子さんのプライベートについて聞く。結婚は31歳で新聞記者の男性と行ったといい、俳優同士の結婚は難しいと思った、女優は仕事として選んだものであり家庭とは分けて考えていたと答えた。家事と仕事も両立させていたといい、現役時代の苦労は現在の「語り部」の仕事にも生かされていると答えた。
香川京子さんの「今、心に響く曲」は、岸洋子さんのシャンソン曲「夜明けのうた」。現在も趣味でシャンソンを個人の先生に習っていると答えた。その他、今後も素晴らしい作品に出会えたら女優として活動したいなどと答えた。