駅馬車(1939・アメリカ)
出典: 2007年9月3日
http://summaars.net/stagecoach.html

駅馬車   STAGECOACH(1939・アメリカ)

■ジャンル: 西部劇
■収録時間: 99分

■スタッフ
製作・監督 : ジョン・フォード
原作 : アーネスト・ヘイコックス
脚本 : ダドリー・ニコルズ
撮影 : バート・グレノン / レイ・ビンガー
音楽 : ボリス・モロス / リチャード・ヘイグマン / W・フランク・ハーリング / ジョン・レイポルド / レオ・シューケン / ルイス・グルーエンバーグ


■キャスト
クレア・トレヴァー(ダラス)
ジョン・ウェイン(リンゴ・キッド)
トーマス・ミッチェル(ブーン医師)
ルイーズ・プラット(ルーシー・マロリー)
ジョン・キャラダイン(ハットフィールド)

駅馬車駅馬車


あくまでも個人的な意見だが、この作品の魅力が分からない感性の薄い人間とは一秒たりとも一緒に時を過ごしたくはないものだ。
一部の現代人は撮影技術の最先端と映画のテンポのみが映画の価値と考えている。しかし、そういった人々は実際は自分で何かを感じるのではなく、他人に振り回されているだけであり、感受性が驚異的に退化している。オーソン・ウェルズの『市民ケーン』はこの作品から誕生し、黒澤明の『七人の侍』もこの作品から生まれた。そして、現在に至っても多くの人々に影響を与えている。なぜならこの作品は明確なまでに芸術的だからだ。


■あらすじ



1885年アリゾナのトントからニュー・メキシコのローズバーグ行きの駅馬車に乗り合わせた人たち。騎兵隊の夫を訪ねる身重の夫人、飲んだくれの医者、町を追放された酒場の女、ギャンブラーといった人たちが織り成す人間関係の中、お尋ねものリンゴ・キッド(ジョン・ウェイン)も乗り合わせることになる。そして、アパッチの襲撃があるという警告を受ける駅馬車。果たして無事ローズバーグに辿りつけるのだろうか?


■映画の教科書として



駅馬車 駅馬車

サイレント映画がトーキー映画に移行し、音が入ることによって映画の可能性は飛躍的に上った。一方で、野外シーンの音響処理の難しさから冒険活劇や西部劇というジャンルは廃れていった。そんな中13年ぶりにジョン・フォードが西部劇を撮ることを渇望した。もはや魅力的とは誰も考えていなかったこのジャンルを。そして、いざ公開されると広大なモニュメント・ヴァレーの風景、インディアンの襲撃に対抗する戦いの壮絶さに観客は熱狂したのだった。

しかし、この作品が今日においても絶大なる「映画の教科書」的な地位を勝ち得てるのは、7人の男と2人の女それぞれに見事なキャラづけがなされているからである。さらにこの9人の人間関係の中でアパッチの襲撃や赤ちゃんの出産といったイベントを絡め合わせていく見事な脚本の構成力及び、その流れを纏め上げたジョン・フォードの演出力故なのである。

本作はシンプルな話の流れだからこそ人物に深みが生まれるという絶対的な映像哲学を示しているのである。。


■西部劇のシンボルの誕生


ジョン・ウェイン 駅馬車

この作品から実に多くの赤ん坊(=後年の名作)が誕生したといっても過言ではない。『七人の侍』もこの作品の大いなる影響下の元で作られている。
そして、この作品から魅力的な西部劇の偶像が二つ誕生する。そうジョン・ウェインとモニュメント・ヴァレーである。

ジョン・フォードとジョン・ウェイン(1907-1979)は1928年からの師弟関係だったが、この作品まで出演させたことがなかった。そもそもこの作品は1936年に発表されたアーネスト・ヘイコックスの短編小説「Stage to Lordsburg (ローズバーグ行き駅馬車)」の映画化権を1937年にジョン・フォード自ら獲得したことから始まった。

『男の敵』(1935)でオスカーを受賞したフォードは、当時西部劇復興を目論んでいた。ダドリー・ニコルズとこの短編小説を脚色化した後に5大メジャー・スタジオに企画として売り込むが、どこも「今さら西部劇か?」といった態度で実現しそうになかった。そこで独立製作者のウォルター・ウェンジャーに企画を持ち込み、低予算でならということで製作が軌道に乗り出した。

勿論低予算なので、フォードを始めとして、全出演者が低額のギャラで出演した。最も高額はクレア・トレヴァーで最も低額はジョン・ウェインだった。ウェンジャーは当初主役の2人をゲーリー・クーパーとマレーネ・ディートリッヒで希望したが、予算的にもフォード的にもそれは不可能な話だった。

もっともジョン・ウェインは当時既に79本のB級映画に出演していて売れない大根俳優のレッテルが貼られていたので、フォードの独断的な抜擢に皆が反対したという。そこでこの大抜擢に快く思わない芸達者な共演者やスタッフがウェインを同情するように、撮影の初日からフォードはウェインを故意に苛め抜いたという。そして、のちに「キング・オブ・ウエスタン」と呼ばれる男が誕生したのである。


■幻想的なモニュメント・ヴァレー


駅馬車 駅馬車

フォードはユタ州にあるモニュメント・ヴァレーで西部劇を撮りたいとかねてから念願していた。この場所はナヴァホ族の居留地であり、彼は生活に困窮していたナヴァホの住民達を大量に撮影スタッフ、エキストラとして雇用し、以降この地が舞台になるたびに彼らを雇用したという。それもスタジオ規定の賃金で雇用している。彼は確かに歴史認識は当時的であったが、先住民に対する救済意識は先鋭的だったのである。

この事実が、この作品におけるインディアン(現在はネイティブ・アメリカンと呼称する)に対する一方的な差別意識をうんぬんする姿勢のバカさ加減を戒めてくれるだろう。

それにしても駅馬車の旅の始まりで写るあの岩山のショット。同年に公開された『オズの魔法使い』でいざエメラルド・シティに向うシーンとそっくりに幻想的である。


■映画そのものが躍動している!


駅馬車 駅馬車

本作を語るにあたって必ず語らなければいけないのが、
「観る人を圧倒する爽快感の普遍性」を時代を超えて持ち得たアパッチの襲撃シーンである。このシーンはまさに「画面自身が躍動しているのではないか?」と勘違いさせられるくらいの迫力に満ちている。砂塵という銃声といい、蹄の軋む音といい全てが躍動している。

そして、絶体絶命の時に鳴るあの進軍ラッパの嘶きまでもが・・・。躍動感がカタルシスへと昇華する瞬間なのだが、こういう瞬間をもし劇場で共感できたならば「カタルシスの共有」ができたんだろうなと昔のスクリーンでのみ映画を楽しめた世代が心底羨ましくなる瞬間である。

すこしシーンをさかのぼるが、駅馬車の走る姿からカメラがぐっと山の上に駆け上ってアパッチを写し出すシーンは、やはり映画史に残る高揚感あふれるシーンである。そして、9人のうちの1人に弓矢が突き刺さり、戦闘が始まるのだ。今まで丹念に描いてきた描写の延長線上で行動する9人の何ともいえない一体感。

駅馬車 駅馬車

馬から馬に飛び移るリンゴ・キッド、赤ん坊を抱きしめ自分の体で覆い隠し守ろうとするダラス、誇り高く勇敢に戦うハットフィールドとブーン・・・構築された9人の人間関係が一瞬にして昇華する瞬間とはこのことである。

しかし、この馬のこけ方といい、スタントマンの無謀さといい、一種この時代だからこそ出来た危険性に満ちている。特に駅馬車の馬に乗り移ったアパッチの1人がリンゴ・キッドに撃たれ転げ落ち駅馬車の下を通過していくシーンは観ていて恐ろしいくらいに感動的だ。

ちなみにこのアパッチ襲撃のシーンでの有名な逸話なのだが、ナヴァホ族のエキストラがジョン・フォードに尋ねたという。「馬を撃てば駅馬車は止まるのになぜそうしないんだ?」と。するとフォードはこう答えたという。「それをすると映画が終わってしまうだろ?」と。


■抒情詩のような美しいロマンスの調べ


駅馬車 駅馬車

リンゴ・キッドとダラスのロマンスが叙情的で中世の小説を読んでるような感覚に包まれている。
この感覚を西部劇の中に溶け込ませたのがジョン・フォードの素晴らしさであり、彼の西部劇が抒情詩的だといわれる由縁である。刑務所を脱獄した男リンゴ・キッドと酒場の女ダラス。ルイーズの赤ん坊を抱きかかえて微笑んでいるその姿を見つめるリンゴのその視線。じっと見つめるその視線にダラスもきりっとして見つめ返し少しだけ口を開ける瞬間。

こういった描写が実に叙情的で、より情熱的だ。キスなんかしなくても男と女が恋する気持ちを交わす瞬間を表現することは出来るのだ。そして、リンゴがダラスにプロポーズするシーンも実に素晴らしい。プロポーズに対し、「でもあなたは知らないわ。私という人間を・・・」とダラスは返答するのだが、それに対して「全て知っているよ」とリンゴは返答するのだ。

このセリフの程よい曖昧さ加減が観る側の想像力を刺激してくれる。恋愛を描く時、全てを分かりやすく伝えるのは味気ない。
やはり、人と人の会話の基本は解釈が何通りも出来る言葉の応酬なのである。まして日陰で生きてきた2人なら尚更である。

ウィンチェスター銃を片手で回転しリロードするリンゴ・キッドの登場シーンも印象的だが、皆から軽蔑されている酒場の女ダラスに対するリンゴ・キッドの優しい眼差しの方が印象的である。この頃のウェインにはこの眼差しがあった。そして、いつしか彼からこの魅力的な眼差しは失われていったのだった。


■西部の華、女の鏡 クレア・トレヴァー


クレア・トレヴァー 駅馬車

主人公のクレア・トレヴァー(1910-2000)の20代とは思えない生活に疲れたやさぐれた感じが魅力的である。この人表情が一瞬ジーン・アーサーに似ている時があって、物思いにふける表情が特に素晴らしい。ジョン・ウェインとトーマス・ミッチェルがピックアップされがちな本作だが、彼女の名演を忘れてはいけない。

この人が自分の生きてきた過程が生み出した蔑みの眼差しに対して、声高に抵抗するのではなく、無言できっと奥歯を噛みしめて耐える姿が、本当の芯の強さを感じさせる。最近の女の感覚でこの役を演じたならば、開き直って能書きいい放題の薄っぺらな役柄になりかねないだろう。

自らの職業を恥じる心があるからこそ、ダラスが主婦として生きていく可能性があると見ているものを納得させてくれるのである。堪え性もなくだらしない開き直りに満ちた女には口だけで主婦なぞ務まらないし、赤ん坊に対する愛情もどれだけ持続するのか疑問なものだ。

この作品は、実は男だけでなく、夜の商売に従事している女性にとっても極めて現在的な作品なのである。
「開き直るのではなく恥を心に秘めよ」それが「人生の次のステップにつながる」んだ。ほとんどの夜の商売の従事者は、昼の生活に戻っていかざるを得ないのだから。


■実に魅力的な9人の登場人物


駅馬車

西部劇という名の人間群像ドラマ。それが本作である。酒場の女(=娼婦)と誇り高き主婦、酔いどれの医者と神父のような酒商人、ギャンブラーと銀行の頭取、お尋ね者と保安官といった相反する立場の人たちの思惑が小さな駅馬車の中で濃縮されていくのである。

駅馬車が揺れれば揺れるほどにお互いの本当の姿が露呈されていくその過程。そして、その過程の中で生まれる愛情、友情、嫌悪といった感情が、そのもの社会における人々の姿につながっているのである。

9人の乗員乗客が9人とも実に生きている作品であり、特筆すべきはやはり前述の2人と、酔いどれの医者を演じたトーマス・ミッチェル(1892-1962)である。普段はただの飲んだくれの役立たずが、ルーシーの出産やアパッチ襲撃、そして、リンゴの決闘の時に男気を見せてくれるのである。そして、勿論ラストにも。この人の役柄は全編に渡って悲愴感漂わない作品を包み込む飄々とした空気を生み出していた。

他に印象深いのが『我が家の楽園』(1938)でも同じような役柄を演じていた酒商人役のドナルド・ミーク(1878-1946)である。この人の臆病そうでいて、しっかりと踏ん張る時は踏ん張れるという姿も実に魅力的だった。しかし、実際のところ一番魅力を放っていたのは、ルーシーだったのかもしれない。その不思議さにおいてだが。

特にルーシーの赤ん坊に対するその姿勢と、騎兵隊の隊長ティム・ホルムに満身の笑みで手を振るその情熱的な眼差しの交換のもつ意味が不可解である。普通どんなに疲れていようとも赤ん坊は自分で抱きはしないか?もしくは襲撃の最中赤ん坊を気遣いはしまいのか?さらに騎兵隊の隊長に対してのあの満身の笑み。この瞬間だけ見せた彼女の生の素顔の意味は?実に想像力を逞しくしてくれる役柄である。

結局は一番悪いヤツは、道徳論を並べ立て、最も口数の多かった銀行頭取だったのだが、
他人のことをとやかく言う人間に限ってろくなヤツはいないと言う分かりやすい教訓が見受けられる。そして、セリフの多いわりにこの男の放つ言葉には全く魅力がない所もすごく良い。


■男が惚れ惚れするような女とはダラスのような女のこと


アパッチの襲撃というハイライトを越えた所にさらにもう一つのハイライト、リンゴ・キッドの復讐である。そして、その中に内在された新しい愛の芽生え。リンゴと3兄弟の決闘は音で聞かせて、実際に決闘する姿は見せないのだが、この描写はやはりこの作品の主役が誰か?つまりダラス。ということを示す良い例ではないだろうか?

あくまでこの作品は、女に焦点を当てた西部劇だったのではないか?町の道徳を向上させる婦人会によって追放される酒場の女ダラスが、ルーシーの出産に伴ない赤ん坊を溺愛し、自分を忌み嫌っていたルーシーのために寝ずの看病をしてやる優しさ。「本当の女の強さと魅力」を描いた作品なのではないだろうか?

そして、そんな2人のカップルを見逃し、酔いどれ医者と保安官が、交わす言葉も実に爽快である。「ドク、酒をおごろう」「よし、一杯だけな」。まさに1人の女が幸せを勝ち取った瞬間を描くことにこの物語の真意はあったのではないだろうか?
自分の運命の不幸(ダラスは幼少時に家族をアパッチに殺されている)を乗り越え、頑張って身一つで生きてきた女のみが持ちうる魅力を描くことがこの作品の根本ではなかったのだろうか?


■西部劇復興ののろしは掲げられた!


駅馬車

本作は1938年11月より撮影が開始され、翌年の1月に終了した。製作費53万ドルで作られた低予算映画は、西部劇史上空前の大ヒットを記録し、ここに西部劇復興ののろしはあげられたのだった。そして、1939年のアカデミー賞助演男優賞(トーマス・ミッチェル)、作曲・編曲賞を受賞し、作品賞、監督賞、撮影賞、室内装置賞、編集賞にノミネートされた。

1941年に『市民ケーン』を発表するオーソン・ウェルズは、この作品を約40回見て映画作りに役立てたという。ウェルズは語る
「わたしの映画についての知識は、すべてフォード映画から学びとった」と。

- 2007年9月3日 -