その1
少々以前のことですが、山崎まさよしさんがギターで弾き語りするユニクロのコマーシャルが流れていました。
ゆっくりと流れるアルペジオが美しくどこかで聞いたことのある歌。
小学校の時に習ったような習っていないような・・・・なぜか懐かしく、良いなあと聞き惚れてました。
浜辺の歌 詩 林古渓 曲 成田為三
1番
あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ しのばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 貝の色も
2番
ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ 偲ばるる
寄する波よ 返す波よ
月の色も 星の影も
文語調で書かれているので難しい詩ですね。解説します。
この詩には掛詞ふうに同じ言葉で別の意味を持つもの、対句、くり返し、定型など様々な技法が使われています。
さらに、言葉をはっきりとかかずに省略することで読む人、聞く人の思いを自由にふくらませる日本文学の良さがあります。
1番 「あした」とは朝の意味です。「さまよえば」散歩のように、あてもなく想いにふけりながらぶらりぶらりと浜辺を歩いている風景が思い浮かびます。「朝、浜辺を散策すると」という意味になります。
「昔の」は平安時代などの大昔のことではありません。過ぎ去った過去のことです。
「ぞ・・・・るる」、係り結びで強調されています。るる、は自発の助動詞「る」の連体形です。
係り結びは係助詞「ぞ、なむ、や、か」があると連体形で結びます。
自発とは自然と心にわきあがってくる状態をいいます。
「過ぎ去った昔のことがなつかしく心にわきあがってくる」という意味。
「雲のさまよ」、「さま」とう言葉は多くの意味をふくみますね。雲の形、色、大きさ、風にながれる様子、いろんなことを含めての雲のさま です。聞き手みんながそれぞれの雲を連想するでしょう。
「寄する波も、貝の色も・・・」貝ではなく貝の色と書かれると強く浜辺の様子を連想させられるではないですか。そして最後が「も」で終わる。
も、の後に続く文を作者が書いて決めつけてしまわず、聞き手に自由に連想させています。聞いている人がそれぞれの思い出を心に思い浮かべるでしょう。すばらしいですね。
2番 「ゆうべ」は昨日ではなく、夕方、夕暮れという意味です。ゆうべ、はまべ、韻ですね。
「もとおれば」、は文語表現で1番の「さまよえば」と同じ意味です。全く同じ言葉を繰り返すと幼稚になるので文語表現にしたわけです。
「昔の人ぞ・・」昔つまり過去に出会った人を指してます。
子供のころの思い出の中にいる若い頃のおじいちゃん、お父さんでしょうか、それとも友達でしょうか、恋人でしょうか。亡くなった母のことでしょうか。学生時代のことでしょうか、それとも幼いころの思い出でしょうか。
聞き手はおのおのの思い出に胸を熱くさせられます。
あなたはどんな風景を、だれを思い浮かべますか?
「星の影も」 影には光という意味があります。ここでは「星の光」という意味です。「月影のワルツ」という歌もあります。
詩というのは自分の思い出や経験にかぶせて人それぞれ自由に解釈してよいのです。それが文学です。作者もそれを望んでいます。
ですがここではあえて作者はどういう気持ちでこの詩を書いたのかを想像し楽しみましょう。
音楽の教科書には2番までが載っているらしいですが、
実は3番があります。
はやちたちまち 波を吹き
赤裳(あかも)のすそぞ ぬれひじし
やみし我は すでに癒(い)えて
浜辺の真砂(まさご) まなご今は
「疾風(はやち)」は今はしっぷうと読みますが、つむじ風の意味です。風は「ち」の読み方があります。東風を「こち」と読みますね。そして波を吹きという表現がまた良いじゃないですか。
「赤裳」は女性の赤い着物です。「ぬれひじし」は濡れ漬じし。濡れてひたる、つまり「びっしょりと濡れてしまった」という意味です。
3行目は、病みし(病気の)私はすでになおって、と言う意味。
「真砂」は、「まさご」 とも「まなご」とも読みます。
次に続く「まなご」は愛子と書き、愛する子供という意味で、真砂と愛子が掛けられています。
3番を読むとこの詩は女性の立場で書かれているのではないか、と想像してしまいます。すると1番2番の状況がわかってきました。
昔のこと、昔の人とはどんなこと、どんな人なのか、離れてしまった子供を思う気持が想像できますね。
大病を患った妻が無理やり離縁させられてしまったのだろうか、遠く離れた浜辺の療養所に隔離されてのだろうか、、、、
小中学生には難しすぎると思うので、現代文に書き直してみるとこんなかんじ・・・
1番
朝 浜辺をあてもなく歩いていると
あの頃のことがが なつかしく思い出される
風の音よ 雲の様子よ あの頃と同じ
浜辺に寄せる波も 貝の色も ・・・・・
2番
夕暮れ 浜辺を歩いていると
あなたのことが 懐かしく恋しい
浜辺に寄せる波よ 返す波よ 何もかもがあなたのことを想い出させる
月の色も 星の光も 懐かしくあなたのことを・・・
3番
急に突風が吹いて波を吹きあげ
私の着物の赤いすそはびっしゃりとぬれてしまった
大病を患った私は 今はもうよくなったけれど あの子は今はいない
浜辺の小さな砂 私の小さなあの子は元気でいるのかしら 会いたい・・・
ところが、実は原詩には4番が存在していて、なんと出版社が勝手に3番と4番をくっつけて1つの3番にしてしまったのです。
そう言われれば、やみし我は・・・は男くさい表現のように感じますね。
2行と3行の間には時間のずれが感じられます。内容からも飛躍があるように感じます。
さて、3番と4番で削除されたのはどんな詩だったのでしょうか。実に気になります。
しかしながらこの詩の作者林古渓(はやし こけい)ですら忘れてしまったというのだから知るすべがありません。
この詩が男性立場の詩だと仮定すれば、1・2番はかつての恋人もしくは心を寄せる女性への思いを歌っていて、3番は大病を患った本人が手元にいない我が子を思った詩、のようにも思えます。
2番の、「昔の人ぞ偲ばるる」 昔の人といえば、有名な歌があります。
「五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする」
古今和歌集に詠まれているこの歌の意味は、「五月を待って咲く橘の花の香りをかぐと、あの人の袖からかおるお香のにおいを思い出す」
そう、「昔の人」とは、「別れた恋人」という意味があるのです。この歌では別れた妻をさしているのですが。
となると、浜辺の歌の「昔の人」さらに対句にした「昔のこと」とは恋人、恋人との思い出を指しているということになりそうですね。
「 ぞ」の係り結びが使われている、赤裳のすそぞ ぬれひじし、の最後の「し」は過去の助動詞「き」です。
「君の赤いすそが波で濡れてしまったことがあったね。」とデートでの出来事を回想しているように思えるではありませんか。
さらに、3番と4番が対句となるなら、ほんとうの3番あるいは4番の最後の行には・・・・・
実は、、この曲は作曲者の成田為三が音楽学校時代の後輩、倉辻正子さんにラブレターとして譜面を送った曲だそうです。(このとき辻倉さんは学校を卒業後、東京を離れて故郷へもどっていました。)
なんて素敵なラブレターでしょう。(結局、愛は実らず、倉辻さんは別の方と結婚したそうですが。)
まさこさんです。そう!真砂-正子!
それから愛子(まなご)を愛娘と書いて、まなごと読ませれば。。。。
ひょっとしたら3番の最後は「浜辺の真砂、愛娘今は」
4番には「浜辺の真砂、まさこ今は」と対句で書かれていたのかも・・・・。
では、成田氏の恋文(こいぶみ)として現代文に書き換えると、こんな感じ
1番
朝 浜辺をあてもなく歩いていると
あの頃のことがが なつかしく思い出される
風の音よ 雲の様子よ あの頃と同じ
浜辺に寄せる波も 貝の色も ・・・
2番
夕暮れ 浜辺を歩いていると
あなたが 恋しくてたまらない
浜辺に寄せる波よ 返す波よ あなたのことを想い出させる
月の色も 星の光も 何もかもがあなたのことを・・・
3番
急に突風が吹いて波を吹きあげ
あなたの着物の赤いすそはびっしゃりとぬれてしまった
病をわずらった私は今はもう癒えたが
浜辺の真砂よ 愛しいあなたは 今はどこでどうしているのだろう
4番
・・・・・・・・(推測不能)
・・・・・・・・(推測不能)
・・・・・・・・(推測不能)
浜辺の真砂(まさご)よ 愛しい正子さん 今どうしているのだろうか
あまりにも求愛的な詩となるので大正時代の風潮から考えて歌詞としては不適切ということで削除して3番と4番を出版社が勝手にくっつけてしまったのではないか。
なぜ3番と4番がくっつけられたのか。単に長いという理由だけならすんなり4番をカットすればいいわけだし。
削除された理由として考えられるのは、
死に関すること、恋愛に関すること、戦争に関すること
が書かれたあったのでは・・・・。
と勝手に想像するのですが。
あるいは、出版社が勝手に書き換えたように著作権のない時代ですから、林古渓の詩を作曲者の成田為三がラブレター用に一部書き換えた可能性もあるのではないか。あるいは正子さんの手元にある譜面の詩はこれとはちょっと違うのかもしれない。
赤裳の赤と病みしということばが妙に心にひっかかります。血を連想させる赤。成田氏が胸の病で療養中に恋人の正子さんは学校を卒業し実家に帰り、他の方と結婚してしまったのだろうか。なんて想像してしまいます。
みなさんどうでしょう?
あなたなら不明の3番の3,4行と4番の1,2行にどんな詩を書きますか?
今夜はあれこれ想いをはせながらもう一度この歌を聞きなおしてみようか。
浜辺の歌解説 その2へ
その2
(この記事はまだ仕上がっていません。完成するのが何年先になるのかわからないので、書きかけですが公表することにしました。)
その1 で3番の歌詞は本来の3番の前半と4番の後半が出版社によって勝手にくっつけられたものだと書きました。
(その1をご覧になりたい方は、「勝手によんでばっと」からお読みください。)
前回は作曲者の成田氏のラブレターとして現代文にしてみましたが、今回は作詞者林古渓氏の目線で現代訳してみようと思います。
まず、原詩を示します。
浜辺の歌 詩 林古渓 曲 成田為三
1番
あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ しのばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 貝の色も
2番
ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ 偲(しの)ばるる
寄する波よ 返す波よ
月の色も 星の影も
3番
はやちたちまち 波を吹き
赤裳(あかも)のすそぞ ぬれ(も)ひじし
やみし我は すでに癒(い)えて
浜辺の真砂(まさご) まなご今は
3番の「赤裳のすそぞ ぬれひじし」は作詞者林氏によって「ぬれもひじし」と訂正されています。
意味は変わりませんが、あかも、ぬれも、と韻を踏ませていたのですね。
ただ、1,2番では初めの2行が七五調、3・4行が6,6音の形式をとっていますが、ここは5音になるはずが6音になってしまいます。
最後の行でも音数がくずれていますから音数よりも韻を重視したのでしょう。メロディーの上では「も」が入っても違和感なく歌われると思います。
赤裳 という言葉、赤色の女性の着物という意味ですが、大人とは限らないのではないか。子供の服かもしれない、と少々疑問を持っていました。
調べてみると、林氏には姪(めい)がいて、幼いころから結核を患い、神奈川県湘南の療養所で長期療養していたことがわかりました。
林氏は何度か姪を見舞いに行っておりますが、林氏自身も結核をわずらい入院しています。この時代の大正から昭和の初めにかけて結核が流行しました。
林氏は海岸を歩いていて、自分の結核はすでに治ったが、まだ幼い、姪の結核は治っただろうかと案じているときの詩だと思われます。
これらのことから、詩中の昔のこと、昔の人、偲ばるる、赤裳、といった言葉は幼少の姪と砂浜で遊んだときのことを回想していると思われます。
林氏の目線で現代文になおしてみることにします。
1番
朝 浜辺をあてもなく歩いていると
あのころのことがが なつかしく思い出される
風の音よ 雲の様子よ
浜辺に寄せる波も 貝の色も (あの頃を思い出させる)
2番
夕暮れ 浜辺をあてもなく歩いていると
あの子のことが 思い出される
浜辺に寄せる波よ 返す波よ
月の色も 星の光も (あの子を思い出させる)
3番
にわかに突風が吹き、波を吹きあげた
あの子の着物の赤いすそはびしょぬれになってしまった
病の私は 今はもうよくなったけれど あの子はよくなっているだろうか
浜辺の小さな砂を見ると思いだす
小さなあの子は今は元気になっただろうか ・・・
「病みし我はすでに癒えて」の一節を見たときすぐに結核だろうなとピンときました。私の肉親が若いころに結核を患ったことがある、ということもあるのかもしれませんが、当時の人たちならなおさら結核を連想しただろうと思います。当時結核といえば、長期療養、治らなくはないが死の可能性が低くはない、喀血する、というイメージがあったでしょう。
本来の3番と4番が作者の了解なしにくっつけられたのは、詩の内容が結核を強く暗示させる内容であったため、1番2番ではほのぼのとした海岸の風景が目に浮かぶのに対して3番からは結核が出てきて急に死を連想させる暗いイメージに支配されてしまうから、という理由だったからではないかと推測します。(あくまでも個人的な推測です。)
みなさん3番を聞いたときにとても違和感をもったのではないでしょうか。
1,2番の詩はペアになっており、朝、夕べ、波、風、貝、雲、月と風景画のようです。ところが3番で人と病が出てきて終わる。
ペアになる4番が無いからなおさら違和感が大きいのではないかと思うのです。
削除された行には
・こうした病を強く連想する言葉があったのではないか
・削除された詩を見て作者林氏は、これでは意味がわからん、と言った
・音数は7・5・6・6音
・韻を好む
・1,2番がペアになっていることから3,4番もペアになる内容ではないか
・1番の「昔のことぞ偲ばるる」から3番で具体的な昔の出来事が描写
されている。すると2番「昔の人ぞ偲ばるる」から4番は人物の具体
的な描写があったのではないか。
・この詩が書かれたとき、姪のお嬢さんはまだご存命であったので、
「今はもういない」のような死を意味する内容は書かれていないはず。
・削除したくなるような病を強く連想させる言葉があるのではないか
といったことから失われた行にどんな言葉が書かれていたのか、空想してみました。青字が想像で付け加えた詩です。
3番
はやち たちまち 波を吹き
赤裳(あかも)のすそぞ ぬれもひじし
・・・病みし君は いまは床に
(意味:病を患った君は今は床にふせている)
・・・浜辺の真砂 まなご今も
(意味:浜辺の小さな砂よ、かわいいあの子は今も患っている)
4番
・・・( 思案中 )
・・・赤裳に袖ぞ 染めひじし
(意味:袖が喀血で真っ赤に染まってしまった)
やみし我は すでに癒えて
浜辺の真砂 まなご今は
どうでしょうか?
何年かかけて失われた行を創作推敲して、このページを完成しようと思っています。