1932年の終わりに、国際オリンピック委員会のドイツ代表 Th. Lewald がオリンピック大会のための賛歌の作曲をシュトラウスに依頼。シュトラウスは歌詞の決定を待った上で、1934年に作曲。同年末に完成。
1936年8月1日,ベルリン, Olympia Stadium で行われたベルリン・オリンピック開会式にて初演。指揮は Strauss 。
混成合唱 (S-A-T-B) ,オーケストラ
Robert Lubahn の詞に基づく賛歌。1934年、シュトラウス70歳の時の作品。36年のベルリン・オリンピックの開会式のために作曲された。
歌詞は以下のような感じです。 ( CD 解説の巻末より転載。なお、ウムラウトは a, o, u の各母音の後に e を付けて表し、エス・ツェットは ss で表しています。訳は Nekomata による仮訳なのであんまり信用しないように。)
Voelker! seid des Volkes Gaeste, | 諸国の民よ! この国民 [ドイツ国民] の客となれ。 |
Kommt durchs offne Tor herein! | 開かれたる門を通って入場せよ! |
Ehre sei dem Voelkerfeste! | 栄誉が民族の祭典にあらんことを! |
Friede soll der Kampfspruch sein. | 「平和」こそが戦いの合い言葉たるべし。 |
Junge Kraft will Mut beweisen, | 若い力は勇気を証明せんとす。 |
Heisses Spiel Olympia! | 熱き競技オリュンピアよ! |
Deinen Glanz in Taten preisen, | [若い力は] お前の栄光を行為において称賛せんとす。 |
Reines Ziel: Olympia. | 純粋なる目標、すなわちオリュンピア。 |
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Vieler Laender Stolz und Bluete | 多くの国々の誇らしげなる精華が |
Kam zum Kampfesfest herbei; | 戦いの祭典へとやってきた。 |
Alles Feuer, das da gluehte, | それらの国々で輝いていたあらゆる火が、 |
Schlaegt zusammen hoch und frei. | ともに集って高く自由に燃え上がっている。 |
Kraft und Geist naht sich mit Zagen, | 力と精神がおずおずと歩み寄るのは、 |
Opfergang Olympia! | いけにえの行進、オリュンピア! |
Wer darf deinen Lorbeer tragen, | お前の月桂冠をかぶることを許されるのは誰か? |
Ruhmesklang: Olympia? | 栄光の響き、すなわちオリュンピアよ。 |
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Wie nun alle Herzen schlagen | 今やあらゆる心臓が |
In erhobenem Verein, | 昂揚した集いの中でどれほど高鳴ろうとも、 |
Soll in Taten und in Sagen | 行為においても言葉においても、 |
Rechtsgewalt das Hoechste sein. | 法権力こそが最高位のものであるべし。 |
Freudvoll sollen Meister siegen, | 喜びに満ちて達人たちは勝利すべし。 |
Siegesfest Olympia! | 勝利の祭典、オリュンピアよ! |
Freude sei noch im Erliegen, | 敗してもなお喜びがあらんことを。 |
Friedensfest: Olympia. | 平和の祭典、すなわちオリュンピア。 |
一部意訳した箇所もありますが、極力全ての単語が言語化されるよう、直訳を心がけて訳してみました。ただし "Stolz und Bluete" の部分は、二詞一意 (hendiadys) と見倣してそのように訳してあります。また "Kraft und Geist naht sich mit Zagen, Opfergang Olympia!" の部分は、文法的な構造もですけど、何が言いたいのか具体的な状況がいまいちよく分かりません。日本語訳が手に入らない状況なので、上記の訳はあくまで仮のものです。訳をお持ちの方、御教示いただけるならば助かります。他の部分 (たとえばコロンの訳し方など) についても、誤訳の指摘などお待ちしております。
CD 解説によると、歌詞は当初 Gerhard Hauptmann というドイツの作家に依頼されていたそうですが、結局その人からは歌詞の提供を受けることができませんでした。なので、当局はかわりにコンテストを開催して、応募者の中から1位となった Robert Lubahn の詩を最終的に採用することにしたのだそうです。 (ちなみにその時の賞金は 1000 Reichsmark ということですが、これは果して今の額に換算するとどれくらいのものなんでしょうか...) なお、この Lubahn という人はとりたてて著明な詩人というわけでもなく、その後も特に目だった業績などは残していないようです。
開会式での初演を指揮したのは、その前年に音楽局総裁の地位を辞任していたシュトラウス本人でした。辞任の原因となったのは言うまでもなくユダヤ人作家シュテファン・ツヴァイク Stefan Zweig との親交ですが、特に彼がツヴァイクに宛てたナチ批判の手紙がゲシュタポの手に渡ったことが決定的な要因となったようです。とはいえさすがにドイツ政府も、既に作曲家としても指揮者としても相当な名声を博していたシュトラウスを無視するわけにはいかなかったらしく、初演の指揮も結局は彼の手に委ねられることになりました。
ところで、シュトラウスは1934年の12月、台本作家として当時シュトラウスと共同作業をしていた Stefan Zweig に対して宛てた手紙の中で、次のように述べています。 (以下、CD 解説から引用。)
"Ich vertreibe mir in der Adventslangeweile die Zeit damit, eine Olympiahymne ... zu komponieren ... Ja: Muessiggang ist aller Laster Anfang."
「私は待降節 (クリスマス前の4週間) の退屈な時期に、...オリンピア賛歌の作曲をすることで時間を潰しています。...そう、『怠惰はあらゆる悪徳のはじまり』なのですから。」
最後に彼が引用している諺は、日本語では「小人閑居して不善をなす」という諺に対応するようです。既に作曲の仕事があらゆる意味で日常生活の一部となっていたシュトラウスにとって、仕事が無い、退屈な状態というのは耐えがたい苦痛だったに違いありません。そのことがよく伺える文面だと思います。
曲は最初3つの音符からなる単純な音形が荘重に奏されて始まり、それが次第に発展し、最後でクライマックスに達します。この音形は明らかに "Olympia" という単語のアクセントから着想を得ています。
演奏データ | Hayko Siemens, Muenchner Symphoniker, Muenchner MotettenChor |
演奏時間 | 3:59 |
録音データ | Garmisch Partenkirchen, Olympia-Eissportzentrum, 1999/6/9-10 |
CD 番号 | ARTE NOVA, 74321 72107 2 |