小津安二郎作品『長屋紳士録 ( 1947年5月20日公開 ) 』を見ました。
小津さんが、意外にお茶目な映画も撮る方だと驚きました。
笠智衆さんの印象も、この映画で変わったし。
Smokyさんに「大爆笑した」とお話したら、「あの映画って爆笑するようなシーンありましたっけ?」と…。
いや、実に可笑しい映画じゃないかとワタシは思うのです。
【あらすじ】
東京のあるところの長屋街に親をなくした一人の子供・幸平 ( 青木放屁 ) が連れてこられるが、住人は皆面倒がり、その挙句金物屋を営むおたね ( 飯田蝶子 ) がその子を引き取ることとなる。最初おたねはもっぱら面倒がるが、だんだんと子供の面倒を見るうちに愛おしくなってゆき、動物園に連れて行ったり、旨い物を食べさせたりと、決して豊かではないが楽しい生活を送っていた。そのうち幸平の父親を名乗る一人の男が現れ、引き取って行った。おたねは、実の親と一緒になった子供のことを思って泣くのだった。
せっかちで、早合点ばかりして、すぐ怒るけど、すぐ謝る。憎めないキャラクターの おたねさん が秀逸。この役には、飯田蝶子さんの独特のテンポが必要だったんでしょうね。

為吉 「うらみっこなしだぜ」
おたねくじをひく (間髪いれず)
「あたしだよ」
おたねくじをひく (間髪いれず)
「あたしだよ」
ところが為吉は、全部のくじにバッテン をつけていた。

「あたしだよ」
蝶子さんの、その間は実にすばやく、いかにも江戸っ子っぽく、可笑しい。
おたねは、セッカチが災いして色んなことをやらかす。
軒に干しておいた干柿 ( 画面奥 ) が無くなったのも、
幸平が盗み食いをしたのだと思い込み、凄い剣幕で怒りつける。


ところが、犯人 は、隣のオヤジだった。 「おたねさん しょげる」の顔。
一番爆笑したのが、おたねが茅ケ崎の浜辺で幸平をおいてけぼりにするシーン。
長屋の為吉と喜八に幸平をおしつけられたおたねは、幸平の父親捜しのために茅ケ崎に行くが無駄足で。途方にくれた彼女は浜辺で握り飯を食べながらこう言うの…。



お前のおとっつぁんも不人情な人だよ、はぐれたんじゃないよ、置いてかれちゃったんだよ。
お前、あの家置いてもらえ。頼みゃ置いてくれるだろ? いたんだから。
お前ね、それ食べたらあの家、行くんだよ。
お前ね、あの海行って、貝拾ってきておくれ、おばちゃんお土産にすんだから。
行っといで、お前、いい子だよ。
お前、あの家置いてもらえ。頼みゃ置いてくれるだろ? いたんだから。
お前ね、それ食べたらあの家、行くんだよ。
お前ね、あの海行って、貝拾ってきておくれ、おばちゃんお土産にすんだから。
行っといで、お前、いい子だよ。
幸平少年「うん」とうなづくと走り出したのでした。

おたねは握飯の包みを片づけると、くるっと後ろを向き歩きだす。

最初は ゆっくりと…。

おたねさん、ついに走ります。

こんな斜面もなんのその。

うしろなんて振り返らない。

ところが少年、気がついた。
追いかけて。走ります、走ります。

やっと追いついた幸平少年、一定距離をおき、ついていく。

おばさんに、

こ~んな顔で威嚇されても。

「シッシッ」と言われ、こ~んなに、追っかけられても。。。。



ただいま~。

為吉と田代 ( 笠智衆 ) に、どうしたと言われ、おたね 憮然。
おたね「恨むよ、田代さん」
為吉 「子ども何しょってんだい」
おたね「芋だよ、安い芋売ってたんでね、
手ぶらで帰ってくんのも勿体ないから背負わせてきたんだよ。」
為吉 「可哀想に、げんなりしてるじゃないか。」
おたね「なあに、ほんの二貫目だよ。」
為吉 「子ども何しょってんだい」
おたね「芋だよ、安い芋売ってたんでね、
手ぶらで帰ってくんのも勿体ないから背負わせてきたんだよ。」
為吉 「可哀想に、げんなりしてるじゃないか。」
おたね「なあに、ほんの二貫目だよ。」


もうひとつ、大爆笑したのは、宴会のシーン。
長屋の寄合に集まった面々、町内会の町役を決めるか何かの話で、
お酒をふるまれた為吉、おたね、田代たちだが、
「いや~」と『男はつらいよ』のご住職とおんなじような笠さんが、
のぞきからくりの節回しで歌いだす。
皆は、茶碗叩いて、チャカポコチャカポコ。

そのひょうきんなこと。その歌の見事なことといったらない。

謡いの合間におたねと田代が同じふりをするの。

何だかわからないけど、楽しい。


おかみさんも 娘さんも、平ちゃん ( 息子 ) も、楽しそう。
あまりにも楽しいので、3回見返してしまった。
ようやく歌詞が聞き取れてきたんだけど、
♪三府の一の東京で (はぁ どっこい) 波に漂うますらおが~
はかなき恋にさまよいし~ 父は陸軍中将で~
片岡子爵の長女にて、(あっ どっこい) 櫻の花のひらきかけ~
人も羨む器量よし、その名っも~片岡浪子嬢、(あっちょいと)
はかなき恋にさまよいし~ 父は陸軍中将で~
片岡子爵の長女にて、(あっ どっこい) 櫻の花のひらきかけ~
人も羨む器量よし、その名っも~片岡浪子嬢、(あっちょいと)
えええ? 片岡子爵で浪子って、もしかして、徳冨蘆花の「不如帰」ですか?
もう少し聞いてみた。
♪海軍中将男爵の、川島武男の妻となる~
新婚旅行をいたされて、伊香保の山に蕨狩り (はっ どっこい)
遊び疲れてもろともに、我が家をさして帰らるる。(あっ ちょいと)
健夫は軍籍あるゆえに、やがてゆくべき時はきぬ、逗子をさしてぞ急がるる、
浜辺の波は穏やかで、(あっどっこい)
武男がボートに移る時、浪子は白いハンカチを、(あどっこい)
打ち振りながら、「ねえあなた、早く帰って頂戴」とぉ~
仰げば松にかかりたるぅ~ 片割れ月の影さびしぃ~
実にまあ哀れなえ~、ほと~と~ぎ~す~
新婚旅行をいたされて、伊香保の山に蕨狩り (はっ どっこい)
遊び疲れてもろともに、我が家をさして帰らるる。(あっ ちょいと)
健夫は軍籍あるゆえに、やがてゆくべき時はきぬ、逗子をさしてぞ急がるる、
浜辺の波は穏やかで、(あっどっこい)
武男がボートに移る時、浪子は白いハンカチを、(あどっこい)
打ち振りながら、「ねえあなた、早く帰って頂戴」とぉ~
仰げば松にかかりたるぅ~ 片割れ月の影さびしぃ~
実にまあ哀れなえ~、ほと~と~ぎ~す~
って、やっぱり不如帰だ。
面白い。この時代には、こんなはやり歌があったんだ。
大変興味深かったので、鑑賞後、調べてみました。
笠智衆さんは、宴会でこれを披露したことがあって、それを小津監督が面白がって起用したんだって。
「監督に、褒めてもらえたのは、これだけ」と、後日笠さんが語ったおられたそうです。
笠さんの「不如帰」ののぞきからくりは、YouTubeにもアップされていたので、聞いてみて欲しいです。
どこのなまりだろう、「カトちゃんのちょっとだけよ」の雰囲気があって、可愛い。

地図好きの心をくすぐられたのがロケ地です。
おたねたちの住んでいるのは「東京のとある下町」となっているけれど、
おたねが幸平を探し歩いている風景に、築地本願寺が写っている。

振り返ったところの背景には、こんな建物が…。

これって、

聖路加の壁面ではないかしら。
「あれっ? 築地本願寺は川に面していたかしら」
この疑問を解明させてくれたのは、GOOの古地図でした。
現在の築地本願寺と聖路加病院の位置関係を見ておいてください。

この間の緑地が、昭和22年の航空写真を見ると、川じゃないの。

赤い印の場所から本願寺を見たアングルが、右下の画像です。


古い映画に、知ってる場所の昔の風景が写っていたりするのって、ワクワクする。


そうして今の茅ケ崎東海岸は。

随分、様変わりしてしまっているんだね。

最後に、脚本的に面白かったのは、
九段ではぐれたっていう幸平少年のおとっつあん ( 小沢栄太郎 ) が、
捜し歩いてやっとおたねの家にたどり着いた時のシーン。

おとっつぁんは、息子のことをずっと探してたんだって。
幸平 父
「えらいこいつがお世話になりまして、どうもありがとうございました。
こいつとは9日の日に東京に出てきまして、九段の坂の上のところではぐれまして、 方々探したんですがわかりませんで、もしかと思って今朝茅ケ崎の方に行ってみましたら、お宅さんがわざわざおいでくだすったそうで。」
おたね
「いえ、そりゃあなたも心配で、でもよござんしたね。」
幸平 父
「はい、お蔭さまで。こいつとは二人っきりだもんで、方々焼け出されて八王子の方にも 行ってみましたんで。」
おたね
「そうですか、そりゃ大変でしたね。坊や、嬉しいだろ、おとっつぁんめっかって。」
幸平 父
「ほら、おばさんにお礼言わないか。おい。どうもしょうがない野郎でして。 これ、つまらないものですが、茅ケ崎で買ってまいりまして。」
おたね
「まあ、いいんですよ、そんなこと。」
幸平 父
「いやもうほんの少しばかり、芋でして。」
「えらいこいつがお世話になりまして、どうもありがとうございました。
こいつとは9日の日に東京に出てきまして、九段の坂の上のところではぐれまして、 方々探したんですがわかりませんで、もしかと思って今朝茅ケ崎の方に行ってみましたら、お宅さんがわざわざおいでくだすったそうで。」
おたね
「いえ、そりゃあなたも心配で、でもよござんしたね。」
幸平 父
「はい、お蔭さまで。こいつとは二人っきりだもんで、方々焼け出されて八王子の方にも 行ってみましたんで。」
おたね
「そうですか、そりゃ大変でしたね。坊や、嬉しいだろ、おとっつぁんめっかって。」
幸平 父
「ほら、おばさんにお礼言わないか。おい。どうもしょうがない野郎でして。 これ、つまらないものですが、茅ケ崎で買ってまいりまして。」
おたね
「まあ、いいんですよ、そんなこと。」
幸平 父
「いやもうほんの少しばかり、芋でして。」

思い出しません?
おたねが茅ケ崎から帰ってきた時、幸平に背負わせたのが芋で、安いから買ってきたっていったのを。
幸平が挨拶に持参した手土産も、茅ケ崎の芋だっていう話。
この映画には、初見では気が付かないような笑いのツボが、もっと潜んでいるような予感。
物語の最後には、上野の西郷さんの前で戦災孤児がたむろをして、煙草を吸っていたりする。
下町の長屋の人情話に心あらわれた一方、戦災孤児の悲しい現実をも垣間見られ味わい深い作品を堪能できました。