「僕はね、年配の女性だって愛や性に悩むことがあって当然なんじゃないかと思う」(山田監督)


世間体や年齢に縛られず

山田

 僕はね、年配の女性だって愛や性に悩むことがあって当然なんじゃないかと思う。なぜ年をとったら、そういうことから撤退しなければいけないのか。よく「茶飲み友だち」って言うでしょう? 茶飲み友だちだから、ふれ合うこともない。この長生き時代に、70を過ぎたら恋愛もセックスも関係ないというのは、ひどい考え方だと思うよ。

吉永

 今回私が演じた福江さんも、真剣に恋をしていますね。世間体や年齢に縛られず自分の気持ちを伝えていくというのは、素敵なことだと思うんです。

山田

 それにしても、孫がいるおばあさんの役をよく引き受けてくれましたね。

吉永

 劇作家の永井愛さん原作でこういう作品をやりますけど、出演しませんか、とお誘いいただいて。「わぁ、嬉しいッ!」と飛び上がって喜んで、すぐ「参加させていただきます」と申し上げたんです。それから1年ほど経った頃、監督が「あのぉ、小百合さん。おばあさんの役ってのはどうですか?」って。「えっ、えっ、大丈夫です」と答えました。(笑)

山田

 20年以上前の戯曲だから、今の時代に合わせたシナリオにする必要があったんです。でも、小百合さんがわりとスッと大丈夫だとおっしゃったから、僕は大いに安心した。とはいえ最初は、いろいろお考えになったんじゃないですか。

吉永

 映画の中で大きな孫がいる役を演じるのは、初めてでした。私自身、子どもがいないので、もちろん孫もいないわけですよね。そんなこともあって、「あぁ、そうか。おばあさんか」と、自分の中で反芻して。(笑)

山田

 そうでしたか。

吉永

 撮影中、つい元気よく歩いてしまって、監督から「もう少し抑えて」と言われたり。

山田

 アハハハ。

吉永

 おばあさんだけど、いろんなことにときめいている様子が伝わるように頑張りました。私の息子役は、大泉洋さんが演じてくださって。初共演でしたが、とっても楽しい方ですね。撮影の合間にいろいろな話をして、ついつい「えっ、こんなことまで喋っていいのかな」と思うようなことまで話してしまう自分がいて。ものすごく聞き上手だから。

山田

 それが彼の人柄だよね。軽快さもあるし。

吉永

 現場では楽しい方がいっぱいいたので、うきうきしながら撮影しました。監督は相変わらず厳しかったですが。(笑)



「〈コスパ〉なんてものとは無関係な世界だから。」(山田監督)「下町で暮らす人々を見習って、家族を超えた人とのつながりを持って生きていきたいと、改めて感じました。」(吉永さん)


自分にできる小さなこと

山田

 今回は隅田川沿いの下町が舞台。福江さんの息子は生まれ育った町を出て、高層ビルの中で働いている。無機的な世界ですよね。そこでいろいろうまくいかないことがあって、久しぶりに隅田川を渡って母親に会いに行き、畳に座ってもう一度人生を考える。

つらいこともあるけれど、きっとこの町でおふくろや娘と一緒にいれば回復できるに違いない、という気持ちになっていくんだろうね。戻ってきたら「お帰り。お茶でも飲むかい?」と言ってくれるのが、家庭だし、肉親でしょう。

吉永

 私は東京生まれとはいえ山の手なので、あんなにご近所の方々が自由に出入りするような家は新鮮で。実際の足袋屋さんで撮影したのですが、こぢんまりした温もりのある風情が、やっぱりいいなと思いました。

山田

 息子は、この町はイヤだと思って出ていったのに、輪が一回転してスタート地点に戻ってくるわけでしょう。

吉永

 はい。

山田

 この一回転を英語で何と言うかというと、「レボリューション」なんですよ。

吉永

 へぇ、そうですか!

山田

 彼はまさにレボリューションを行って、この場所の値打ちを発見する。経済最優先の世界と、母親が近所の仲間たちとボランティアでホームレスを支援する世界は、まさに対極でね。〈コスパ〉なんてものとは無関係な世界だから。コスパとかタイパ(タイムパフォーマンス)とかいうのはイヤな言葉だね。

吉永

 下町で暮らす人々を見習って、家族を超えた人とのつながりを持って生きていきたいと、改めて感じました。今の時代、難しいことかもしれません。だけど、やらなくてはいけない。

山田

 僕もそう思う。

吉永

 そういえばこの映画が公開されるのは、9月1日。防災の日ですね。

山田

 ええ。100年前のその日、関東大震災が起きた。隅田川近くのあの一帯は、関東大震災と1945年3月10日の東京大空襲で、2度にわたって徹底的に焼かれたんです。空襲では、一晩で10万人もの非戦闘員が殺された。しかも、いかに効率的に壊滅させるか、計算し尽くされた爆撃でした。

吉永

 むごすぎます。戦争というのは、本当に残酷ですよね。

山田

 小百合さんは、原爆詩の朗読を長く続けておられますね。

吉永

 はい、35年を超えました。自分にできる小さなことを何かやっていたいな、という思いがあって。絶対に戦争のない国であってほしいし、日本だけではなく世界から戦争がなくなってほしい。私には何の力もないけれど、声をあげ続けていきたいんです。監督は常に、いろんな思いを持って活動する団体に応援メッセージを送っておられる。そのことに大変感銘を受けますし、いつも背中を押されます。

山田

 まさに今、世界がおかしな方向に行って、多くの人が不安を感じている。戦争をいったん止めて真面目に話し合うということが、なぜできないのだろう。止めないから、どんどん進んでいってしまう。原子爆弾だって、あんなもの作らないほうがいいと、誰だって思う。近頃は、AIなんかも怖い方向に行くんじゃないかという気がしてしょうがない。

吉永

 不安になりますよね。人間が考えることを止めて何でもAIに頼ったら、大変なことになりそうで怖いです。

山田

 「わぁ、科学技術はそんなに発達したのか、バンザイ」という気持ちにはならないね、原子爆弾が発明された時と同じで。そんなもの、作っていいんだろうか。これから映画のシナリオもAIが作る時代になる。それで僕らは幸せと言えるのか。そういう世の中で、僕らは何を考えて作品を作っていけばいいのか。

今のこの世界、この日本という国に生きている一市民として、世界のことを考え、同時に人間のことも考えるのが何より必要だと思っています。

吉永

 私も同感です。人工知能の助けを借りなくても、自分たちで考え、助け合って前進しようとする世界であってほしい。

山田

 とにかく、一市民としてノーと言えることが大事だね。



「実は今もいろいろなものに興味を持ちすぎて、それも問題かな、と思っているんですけど。(笑)」(吉永さん)


作る側の楽しさを知ったのは

吉永

 私は年齢的なこともあって、いつでも仕事を全うできる体でいるためにはどうしたらいいかをよく考えます。そこまで難しく考えているわけではないのですが、その日その日を精いっぱい生きるというか。基本的には、アクティブにしているのが好きなんです。実は今もいろいろなものに興味を持ちすぎて、それも問題かな、と思っているんですけど。(笑)

山田

 たとえば?

吉永

 今やってみたいのは、太極拳です。

山田

 やったことはあるの?

吉永

 コマーシャルで太極拳のポーズをとる必要があり、2週間ほど先生のところに通いました。しっかりと呼吸をしながらゆるやかに体を動かし続けると、カタルシス効果があって気持ちいい。太極拳は武術でもあるので、時々ピッと激しい動きが入るのが面白くて。

山田

 へぇ、そうなんだ。

吉永

 本当は空手をやりたかったんです。親戚の子どもが型を習っていて、ビデオを見せてもらい、「わぁ、すごいな」と。東京オリンピックも楽しく見ていましたが、これはさすがに無理だなと思って諦めました。

山田

 おやりになったらいいのに。(空手の真似をしながら)トワーッ! トワーッ! 小百合さんがやったらカッコいいな。

吉永

 ふふふ。空手は無理にせよ、できる限り体力と表現力をつけて、まだ何か貢献できるのであれば俳優としてやっていきたいとは思っています。

山田

 僕ももうこんな年だけど、そうね、お客さんがぶわーっと笑ってくれる映画をもう一度作りたいな。笑えるって大事じゃない。最近は映画もテレビドラマも、深刻なのが多いから。

吉永

 私も笑いたいです。

山田

 寅さんもヘンな家族の物語だったけれど、大声で笑っちゃうような家族に会いたい。落語の世界みたいな。

吉永

 いいですね。映画を見て面白かったら、もっと思い切り笑ってほしいなといつも思っています。私は映画館で一人だけ大きな声でハハハッと笑ってしまうので、人からヘンな目で見られたりするんですよ。

山田

 ちゃんと映画館で見ているんだ。

吉永

 はい。映画は映画館で見ると決めているんです。監督が時々、「この映画いいですよ」と勧めてくださるでしょう。この間は、中国映画の『小さき麦の花』を教えていただいて。すばらしい作品でした。

山田

 『パリタクシー』はご覧になった?

吉永

 いえ、まだです。

山田

 軽やかで、とってもいい映画ですよ。高齢の女性が1日タクシーを乗り回して、運転手と仲良くなる。主演女優は当時94歳ですが、綺麗なんですよ。吉永さんもぜひ、94歳でも現役の女優を目指してほしい。

吉永

 私は今でも役者としてアマチュアだと思っているので、なんとかプロフェッショナルになれるよう、この先も諦めずに続けていきたいです。

山田

 僕は監督になれたらいいなと思いながら松竹撮影所に入社して、ずっとこの道を歩いてきた。豆腐屋さんが豆腐を作るのと同じように、僕の生業として映画を作っている感じなんですよ。でも、この道はそんなに間違ってはいなかったなと思う。

吉永

 私は小学校5年の時に、児童劇に出たのが始まりでした。「あぁ、演じるのって楽しいな」と思い、卒業文集に「大きくなったら映画俳優になりたい」と書いたんです。最近、そういうことをよく思い出します。

山田

 ああ、僕も思い出した! 僕は敗戦後、しばらく中国・大連の中学にいたんです。大混乱で勉強もろくにしないから、学芸会をやろうということになって、僕は学校の中に劇団を作っちゃった。

団員はせいぜい7、8人だったけれど。僕が脚本を書いて、主演は僕で、ドタバタのナンセンスコメディ。本番では、お客さんがワーワー笑っているわけよ。ふと客席を見たら、親父が怖い顔をして僕を見ている(笑)。でもその時かな、作る側の楽しさを知ったのは。

吉永

 そうでしたか! 大変な仕事ですが、やっぱりものを作るというのは楽しいですね。久々に監督のそういうお話を伺えて、嬉しかったです。ありがとうございました。




山田監督がメガホンを取り、吉永さんが主演した映画『こんにちは、母さん』は、9月1日より全国公開 <公式サイト